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朝日新聞の購読申込ページ 「復興の支え、広島の宿命 原点を再確認し3連覇」

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朝日新聞の朝刊紙面より「市民のよりどころ」

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セ・リーグ3連覇を成し遂げたプロ野球広島カープ被爆地で地域の人たちと支え合いながら歩んできた。その地元の街を今夏、西日本豪雨が襲った。

 

もうだめか――。鳴り物を使った応援を自粛していた球場は、カープファンのため息で満ちていた。

 7月20日、本拠マツダスタジアムでの巨人戦。広島東洋カープは最大7点差を追いつかれ、延長十回に勝ち越し本塁打を許した。

 1点を追うその裏、下水流(しもずる)昂(30)が重苦しい雰囲気を振り払う。2死から、逆転2ランでサヨナラ勝ち。下水流は「『諦めない』がカープの代名詞。特別な試合でもあったから」。

 その2週間前、広島を西日本豪雨が襲った。死者100人を超える大きな被害が出た。カープは豪雨直後、9日からの阪神との3連戦全てを中止に。この巨人戦は災害後初のホームゲームだった。

 球場に豪雨での損傷はなかった。阪神3連戦のチケットは完売していた。鈴木清明球団本部長(64)は「たとえ勝っても、喜んでいられる状況じゃなかった」。大地震による開幕延期や中止を除けば、当日の天候不順以外の理由で試合をやらないのは極めて異例だ。松田元(はじめ)オーナー(67)は、「興行をする野球人としては何としてもやるべきなんよ。でも地域人として中止を選んだ」。

 原爆投下から5年後の1950年、カープは生まれた。戦災に打ちひしがれた人たちを励ましながらも、親会社を持たない市民球団には財政難がつきまとった。存亡の危機を救ったのが、「たる募金」などで支えてくれた広島の人たちだった。松田オーナーは「原爆の時もそうであったように、復興の気持ちの支えになるのがこの球団の宿命」と話す。

 原爆が投下された8月6日。その当日や前後の本拠試合を「ピースナイター」として実施する。当日に本拠試合がない年は、球場の観客席の高さ25メートルの位置にキャンドルを並べ、惨禍を記憶するための「ピースライン」を作る。25メートルは原爆ドームの高さだ。新人選手も参加し、広島で野球をする意味を学ぶ。

 

 6歳で被爆した広島平和記念資料館の元館長、原田浩さん(79)は「廃虚のどん底で、生きる目標として心を寄せたのがカープだった。豪雨で中止という判断をした球団はあっぱれ。市民のよりどころになるというカープの歴史が、今も引き継がれている」と話す。

 カープには、地域のために、という思いが強く根付く。4番打者の鈴木誠也(24)は、7月20日の試合前に豪雨災害被災者支援の「たる募金」に参加した。「試合に勝ったり、優勝したりすることで喜んでくれるならそれが一番、と思ってやってきた」

 緒方孝市監督は優勝インタビューで当時を振り返り、「信じられない悲しい出来事があった。だが、選手は気持ちを入れ直して信じられない勝ち方、戦い方をしてくれた」と話した。原点を再確認し、たどり着いた3連覇だった。

朝日新聞より引用