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朝日新聞の購読申込ページ 「au三太郎CM、歌詞に込めた世界観 電波届かぬ山里で」紙面抜粋

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 朝日新聞の朝刊紙面より 「どんな作業にも意味がある

 

auのヒットCM「三太郎シリーズ」の原点は、三重県の山里にあった。CM制作者の少年時代は、昔話の主人公たちの友情を描く「三太郎」の世界観そのものだ。郷愁が漂う映像や歌には、子どもだけでなく、大人にも通じるメッセージ性を感じさせる。

 冬晴れの空に山々の緑が映え、雲出川のせせらぎが際立つ。津市中心部から車で1時間半。旧美杉村・川上地区の奥まで進むと、携帯電話の電波は途切れた。

 桃太郎、金太郎浦島太郎――。昔話でおなじみのキャラクターが、コミカルな掛け合いを繰り広げるauのCM「三太郎」シリーズの源流が、ここにある。

 「川上で育たなければ、三太郎は生まれなかった」。CMを生み出した篠原誠さん(45)は、東京・汐留の電通本社で明かした。

 1972年、3人兄弟の末っ子として生まれた。「日本列島改造」ブームからも取り残された山あいの小学校では、同級生がわずか6人。男の子3人は川で釣りをしたり、山に秘密基地を作ったりして、いつも一緒に遊んだ。「都会とは20年くらいずれていた」

 2人ならケンカになるが、3人ならバランスが保てる。CMのセリフが今、苦もなく書けるのもそんな少年時代があったからだ。

 ログイン前の続き当時の印象を、同級生の中野幸治さんは「人を笑わせるのが好きで、勉強も運動もできた」、谷郷英樹さんは「ドラえもんのパロディーを描いていたのが印象深かった」と振り返る。

 篠原さんは家に帰ると、テレビに釘付けだった。「あの箱の中にあるものは、僕の生活にないものばかりだった」。兄2人は津市と伊勢市の高校に進学した。自分も井の中のかわずに、なりたくなかった。

     ◇

 高校は津市へ。下宿暮らしを送った。進学した東京の大学で受けたマーケティングの講義が道を開いた。「物を売るため、大人が色々考える仕組みが面白かった」。ゼミでは大手のピザチェーンや和菓子店に販売戦略を提案した。マーケティングを生かそうと、95年に電通に入社した。

 配属は、希望した営業ではなく、広告制作を手がける部署。広告コピーの書き写しや文字校正などをしながら、コツコツと仕事を積み上げた。「ポテンヒットばかりのプランナー。門外漢で才能はないから、人の5倍も10倍も考えた」

 「どんな作業にも意味がある」。今も深く刻む先輩社員の教えも、この頃に出会った。文字の正誤を確認する単純作業も、広告制作のプロセスを学ぶ機会と思えば、意味が出る。どんな仕事も、まずゴールを定めることが流儀になった。

 40歳を過ぎ、2015年から始まった「三太郎」シリーズ。「あたらしい自由」というauのコピーに合わせ、「既成概念を壊す」とゴールを定めた。

 考え抜いた表現が、昔話だった。桃太郎はやんちゃで、金太郎は愛を語り、浦島は少し抜けている。絵本のイメージを少しずらした「お馬鹿でかわいい感じ」を目指した。90本ほどあるこれまでのシリーズ。「子ども時代の三太郎が、神社で仲良く笑っているシーンが、一番美杉に近い」

 作詞を手がけた三太郎のCMソングもヒットした。

 《誰も 彼も どんな人も あたらしい世界をもっている》(みんながみんな英雄)、《どんな人だって同じじゃないさ》(やってみよう)。

 歌詞から見えるのは「多様性」だ。

 「30歳までに何をしなければとか、60歳なら遅いとかは、意味がない。みんな色々だと思えば、息苦しい世界も楽になる」

 商品を広めCMソングを聴いた特別支援学校の先生から「この曲を聴くと子どもたちが頑張れる」というメッセージが届いた。「広告効果以上の副産物を届けられたら幸せ。結果的に今の時代に響いたのかも」

 今も年1度は美杉に帰る。昨年11月、美杉の祭りで講演し、中野さんと二十数年ぶりに再会した。谷郷さんとも、LINEのグループでつながった。

 中野さんは今、愛知県庁で働く。「金太郎が山道を1人で歩くシーンを見ると、川上を思い出す」。谷郷さんは奈良県の会社員だ。「三太郎みたいな関係に今もあこがれる」

 篠原さんたちは、第2次ベビーブーム世代でもある。「人数が多くて常に競争させられ、バブルの恩恵も感じなかった。でも、しんどいからこそ、ゆっくりと鍛えられてきた世代だとも思う。僕は何かあったら帰れる美杉というオリジン(起源)があったから、新しい世界に飛び込めた。根っこがあれば、強いんじゃないでしょうか」

 昨秋、中野さん、谷郷さんとLINEで誓い合った。「次の夏、美杉で会おう」。約30年ぶりの「三太郎」再会になる。

朝日新聞より引用